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古鷹 (重巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
古鷹 (重巡洋艦)[ふるたか]

古鷹(ふるたか)は〔#達大正11年8月p.8『達第百五十一號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|大正十一年八月十一日 海軍大臣男爵加藤友三郎|川崎造船所ニ於テ建造 衣笠キヌカサ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 古鷹フルタカ』〕、大日本帝国海軍重巡洋艦#日本軍艦集2600年版p.28『一等巡洋艦 古鷹(ふるたか) 基準排水量7,100噸、長さ176.78米、幅15.47米、平均吃水4.5米、速力33節、備砲20糎砲6門、12糎高角砲4門、魚雷發射管12門、起工大正11年12月5日、進水大正14年2月15日、竣工大正15年3月31日、建造所長崎造船所-衣笠と同型。古鷹は世界最初の八吋砲巡洋艦で世界の造船家を唖然足らしめた。』〕。
一等巡洋艦古鷹型の1番艦〔#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』〕。
その艦名は江田島海軍兵学校そばにある古鷹山による〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.120『古鷹(ふるたか) 艦種一等巡洋艦 加古・青葉・衣笠は其の姉妹艦なり。艦名考山名なり、安藝國江田島に在る古鷹山に採る。艦歴所謂8吋砲巡洋艦の魁をなしたる艦なり。』〕。
平賀譲造船官が手掛けた代表艦であり〔#東京帝国大学総長平賀譲p.2『…殊ニ古鷹、加古、青葉、衣笠級巡洋艦ノ如キハ世界ノ驚異トシテ造船史上ニ一時代ヲ劃セルモノニシテ昭和三年帝國學士院ハ學士院賞ヲ授與シテ其ノ功績ヲ表彰セリ(以下略)』〕、世界の注目をあびた20cm砲搭載型巡洋艦である〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.27『一等巡洋艦"古鷹 ふるたか" 飛躍的進歩を遂げた我が造艦技術は、今や世界の驚異とされ1隻の艦艇が我に出現すれば忽ちそれは世界列強の注目研究するところとなる。就中この古鷹の出現ほど世界をあつと云はせたものはあるまい。實にこの艦の計畫された時などは外國人は口を揃へて、「わずか7,100噸の排水量の艦に20糎砲が6門その上に魚雷發射管が12門も積めるわけがない」と云つて信じなかつたものである。が「これですつかり出來上つたから見て呉れ」とばかりに大正15年3月竣工した古鷹を見せつけられた世界は二度吃驚した。計畫通りの兵装が施されてゐるばかりでなく、それまでの巡洋艦型を美事に脱却したスマートさ。即ち古鷹の出現は世界巡洋艦に大革新を齎したと共に日本人の偉大さを世界に再認識せしめたのである。』〕。
== 概要 ==
列強の15cm砲搭載軽巡洋艦を凌駕する巡洋艦として、20cm砲6門を搭載し相応の防御力を有した8,000トン級巡洋艦として1923年度の計画で建造された(起工は1922年暮)。その背景には、帝国海軍の巡洋艦の主力である5,500t型巡洋艦が仮想敵であるアメリカ海軍オマハ級軽巡洋艦に比べ大きく劣っていた事が挙げられる。
設計者は八八艦隊計画で有名な平賀譲造船官。実験艦としての性格が強かった軽巡洋艦夕張を拡大・改良したものである〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.38『ニ等巡洋艦"夕張 ゆふばり" 全要目 由良又は鬼怒などの軽巡洋艦が申し合せたやうに同型艦として續々出現し、どれが由良か鬼怒か見分けがつかない思ひをしてゐる中へ大正12年7月忽然として現はれた甚だ軽快さうな巡洋艦、ナリは小さいが由良や鬼怒に比べて全然艦型を異にしたスマートな姿であつたから見る者凡てが目を瞠つた。それが夕張であつた。排水量僅かに2,890頓で上記の兵装も而もその悉くが首尾線上に装備されてゐるのみならず、14糎砲は各2門宛を砲塔式に即ち2連装砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進歩である。今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』〕。
単装の20cm砲(8inchではなく20cm)を前甲板と後甲板の中心線上に3基ずつ並べ、煙突を巨大化し、航行性を高めるために波型の甲板を採用した事に特徴がある〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.28『一等巡洋艦"加古 かこ" 加古は艦型要目共に古鷹と同様で全長176.78米、幅15.47米、平均吃水4.50米。備砲20糎砲6門は何れも單装砲塔式であるから、この點すぐ後に出來た衣笠、青葉の2艦をして一日の長たらしめてはゐるが、従来の巡洋艦が採り來つた形式と比較したならばその斬新振りに満足すべきであらう。この型に於て眼新らしく見られる前部甲板の彎曲してゐるのは高速航行に際して前方3個の砲塔及び艦橋(ブリツヂ)が飛沫に冒されるのを防ぐためである。又後部甲板が全部と反對に下つてゐるのはこの不要部分を割いてこれを武装の方に振當てた苦心の跡を物語るもの。尚この型は後檣の下に飛行機格納庫を有してゐる。後檣に副ふて飛行機揚収用の"デリツクderrick"が見えるであらう。』〕。なお、この砲は準砲塔式とも言える人力装填のものを採用しており、竣工時の古鷹型巡洋艦(加古級巡洋艦)ではこの人力装填による給弾の遅れが問題となった。準同型艦の青葉型重巡洋艦では20cm連装砲塔3基6門を搭載しており、これが建造当初の古鷹型(加古級)と青葉型の識別点となった〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.34『一等巡洋艦"衣笠 きぬがさ" 衣笠も亦要目に於ては加古、古鷹と同様であるがその主砲たる20糎砲の配列が單装砲塔から二聯装砲塔へと變化した。即ち前部に2個、後部に1個の砲塔としたため單装6砲塔の加古級に比し半籔の砲塔で足りることゝなり従つて甲板上にも大いにゆとりが出來た。後檣下には大きな飛行機格納所があり"カタパルトCata-Pult"は後檣の後に廻つた。尚外誌によると加古級の搭載し得る燃料は石炭400頓と、重油1,200頓であるが、衣笠、青葉になると石炭は同様400頓であるが、重油は1,600頓に増加してゐるといつてゐる。』〕。
同型の加古と共に1936~39年の改装で主砲を20.3cm連装砲3基に変更し、艦橋装置の近代化や、水雷兵装の新式化が行われている。砲撃力、速力、水雷戦闘能力共に太平洋戦争開戦時の水準を満たした強力な中型巡洋艦となった。
上記の通り当初はオマハ型を凌駕する巡洋艦として計画された。ワシントン海軍軍縮条約では巡洋艦は排水量10,000t以下、砲口径5inch以上8inch以下と定義付けられたが、保有制限はなかった。その為、当初の計画では14cm砲搭載の予定を20cm単装砲6基6門に変更された。その後、ロンドン海軍軍縮条約によって排水量に関わりなく重巡洋艦とされて保有制限を受けたため、搭載砲塔が条約上限の20.3cm(8inch)連装砲に換装された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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